西の京・山口と日本三大天神・防府天満宮 [山口県]
山陽新幹線の新山口駅で降り、JR山口線に乗り換え約20分ほどで山口駅に到着します。
ここ山口は中世南北朝時代は大内氏が本拠とし、日明貿易により外国の文化を早くから取り入れました。
その後京都で起こった応仁の乱から逃れてきた文化人を多く迎え入れたので、「西の京」として栄えました。
戦国時代においても大内氏の手による市街の整備が進み、約200年にわたる街つくりが行われました。
大内氏滅亡後は毛利氏の支配のもとで山口奉行が置かれ、政治の中心地となりました。
その後一度毛利氏の支配から離れますが、幕末にはふたたび政治の中心地となり長州藩の倒幕運動の拠点となりました。
山口は先の戦火を受けることなく、古くからの神社やお寺が多く残り国宝級の建物もあります。
山口駅から西の京の栄華のシンボルの瑠璃光寺・国宝五重塔を目指していると、途中、ザビエル記念聖堂や山口県立博物館、藩庁門などを見物できます。
のんびり散策しながら山口の町並みを歩くのがオススメのようです。
少し足を延ばして防府市に行くと、京都の北野天満宮、福岡の太宰府天満宮とともに日本三大天神といわれている防府天満宮があります。
かつて菅原道真が太宰府へ左遷される折に、ここ防府に立ち寄ったとされています。
山口での宿泊は山陽地方では珍しい温泉地・湯田温泉がオススメのようです。
温泉街のいたるところに足湯が点在し、日帰り温泉も人気のようです。
ここ山口は中世南北朝時代は大内氏が本拠とし、日明貿易により外国の文化を早くから取り入れました。
その後京都で起こった応仁の乱から逃れてきた文化人を多く迎え入れたので、「西の京」として栄えました。
戦国時代においても大内氏の手による市街の整備が進み、約200年にわたる街つくりが行われました。
大内氏滅亡後は毛利氏の支配のもとで山口奉行が置かれ、政治の中心地となりました。
その後一度毛利氏の支配から離れますが、幕末にはふたたび政治の中心地となり長州藩の倒幕運動の拠点となりました。
山口は先の戦火を受けることなく、古くからの神社やお寺が多く残り国宝級の建物もあります。
山口駅から西の京の栄華のシンボルの瑠璃光寺・国宝五重塔を目指していると、途中、ザビエル記念聖堂や山口県立博物館、藩庁門などを見物できます。
のんびり散策しながら山口の町並みを歩くのがオススメのようです。
少し足を延ばして防府市に行くと、京都の北野天満宮、福岡の太宰府天満宮とともに日本三大天神といわれている防府天満宮があります。
かつて菅原道真が太宰府へ左遷される折に、ここ防府に立ち寄ったとされています。
山口での宿泊は山陽地方では珍しい温泉地・湯田温泉がオススメのようです。
温泉街のいたるところに足湯が点在し、日帰り温泉も人気のようです。
山口県のパワースポット秋吉台と赤間神宮 [山口県]
中国自動車道の美祢ICを降りて、約15分で秋吉台に到着します。
国定公園にも指定されている秋吉台は、山口県美祢市にある日本最大のカルスト台地です。
カルスト台地は石灰岩で出来ていて、雨が降ると雨水が地下に浸透し、秋芳洞をはじめとする鍾乳洞が形成されたようです。
その鍾乳洞の数は400を超え、現在でも新しい鍾乳洞が発見されているそうです。
その中のひとつで特別天然記念物に指定されている秋芳洞の中を流れる川があり、この川の水の力を感じるパワースポットとして注目を浴びています。
以前に秋吉台を訪れたことがあり、その時に秋芳洞の入り口付近で家の表札を注文したこと思い出します。
再び美祢ICから中国自動車道で西を目指します。
下関ICを降り海岸線を目指し、約2キロのところに赤間神宮があります。
赤間神宮は1185年の壇ノ浦戦いで源氏に敗れ、入水した安徳天皇を祀っています。
安徳天皇は栄華を極めた平清盛の娘、徳子と高倉天皇の間に生まれました。
2歳の時に天皇に即位し、実権は祖父の平清盛が握っていました。
その後、鎌倉源氏軍に平家が屋島の戦いで敗れると海上へ逃れ、最後の決戦の地・壇ノ浦で平家一門は滅亡しました。
この時安徳天皇は8歳でした。
翌日遺体が引き上げられ、後の赤間神宮に平家一門とともに葬られました。
国定公園にも指定されている秋吉台は、山口県美祢市にある日本最大のカルスト台地です。
カルスト台地は石灰岩で出来ていて、雨が降ると雨水が地下に浸透し、秋芳洞をはじめとする鍾乳洞が形成されたようです。
その鍾乳洞の数は400を超え、現在でも新しい鍾乳洞が発見されているそうです。
その中のひとつで特別天然記念物に指定されている秋芳洞の中を流れる川があり、この川の水の力を感じるパワースポットとして注目を浴びています。
以前に秋吉台を訪れたことがあり、その時に秋芳洞の入り口付近で家の表札を注文したこと思い出します。
再び美祢ICから中国自動車道で西を目指します。
下関ICを降り海岸線を目指し、約2キロのところに赤間神宮があります。
赤間神宮は1185年の壇ノ浦戦いで源氏に敗れ、入水した安徳天皇を祀っています。
安徳天皇は栄華を極めた平清盛の娘、徳子と高倉天皇の間に生まれました。
2歳の時に天皇に即位し、実権は祖父の平清盛が握っていました。
その後、鎌倉源氏軍に平家が屋島の戦いで敗れると海上へ逃れ、最後の決戦の地・壇ノ浦で平家一門は滅亡しました。
この時安徳天皇は8歳でした。
翌日遺体が引き上げられ、後の赤間神宮に平家一門とともに葬られました。
萩の町並みと錦帯橋 [山口県]
ツアー2日目、午前中は自由行動か秋芳洞見学でしたので、自由行動を選択して萩の町並みを散策に行きました。
ホテルの前にあったレンタサイクル屋で自転車を借りて、萩市内の観光地図を片手に出発しました。
萩城跡や武家屋敷、高杉晋作生家、吉田松陰が投獄されていた野山獄跡などを見て廻りました。
暑さで喉も渇いたので、途中酒屋さんに立ち寄りました。
すかさず「地ビールありますか?」
とても冷たくて満足しました。
最後に地元の商店街で蒲鉾を買い求め集合場所のホテルへ戻りました。
バスに乗り込み錦帯橋のある岩国を目指しました。テレビや写真でしか見たことがありませんでしたが、錦帯橋を見たとき想像以上に感動してしまいました。
錦帯橋を渡り公園を通り抜け、岩国城の天守閣に登るためロープーウェーに乗りました。
残念ながら岩国城は改修中で、中を見学する事が出来ませんでした。
来た道を通り再び錦帯橋を渡り、バスの駐車場まで帰ってきました。
後は山陽新幹線で帰るだけですが、また例のごとく福山駅までの道のりはとても疲れました。
今回のツアーの感想はというと、とにかくバスでの移動時間が長すぎるということです。
改めて萩に行く時は、自家用車で行くつもりです。
ホテルの前にあったレンタサイクル屋で自転車を借りて、萩市内の観光地図を片手に出発しました。
萩城跡や武家屋敷、高杉晋作生家、吉田松陰が投獄されていた野山獄跡などを見て廻りました。
暑さで喉も渇いたので、途中酒屋さんに立ち寄りました。
すかさず「地ビールありますか?」
とても冷たくて満足しました。
最後に地元の商店街で蒲鉾を買い求め集合場所のホテルへ戻りました。
バスに乗り込み錦帯橋のある岩国を目指しました。テレビや写真でしか見たことがありませんでしたが、錦帯橋を見たとき想像以上に感動してしまいました。
錦帯橋を渡り公園を通り抜け、岩国城の天守閣に登るためロープーウェーに乗りました。
残念ながら岩国城は改修中で、中を見学する事が出来ませんでした。
来た道を通り再び錦帯橋を渡り、バスの駐車場まで帰ってきました。
後は山陽新幹線で帰るだけですが、また例のごとく福山駅までの道のりはとても疲れました。
今回のツアーの感想はというと、とにかくバスでの移動時間が長すぎるということです。
改めて萩に行く時は、自家用車で行くつもりです。
ツアーで津和野、萩に行きました。 [山口県]
旅行は必ず自動車で出かけていましたが、一度ツアーに参加してみようと思いました。
目的地は津和野から山口県の萩、岩国、秋芳洞で1泊2日の予定です。
朝早い時間に集合し、山陽新幹線に乗り出発しました。
目指す駅は福山で、そこから地元観光会社のバスに乗り込み津和野を目指しました。
考えてみれば福山は広島県の東に位置している為、長時間バスに揺られなければなりませんでした。
高級バスというわけではありませんので、しばらくするとお尻が痛くなり外の景色を見る余裕もありませんでした。
何時間走ったでしょうか、津和野に着き小休止。しばらくすると直ぐに出発の号令が聞こえました。
その後萩に到着し、松陰神社などの名所を見て回りました。
今となっては話題の松下村塾などをじっくり見ておけばよかったなと後悔しています。
今夜の宿は某グランドホテルで、ツアーのパンフレットなどによく出てくるホテルです。
ツアーといっても個室に泊れる訳ですが、その部屋の給湯器が故障してるではありませんか。
そうそう添乗員が手土産を持って謝りにきたので、その場は穏便に済ませました。
大浴場で疲れを取り、いざ大広間での夕食に向かいました。おおよそ100畳はあろうかという大広間の片隅にお膳が用意されていましたが、空いている部分の方があるかに広い・・。
ふぐ料理が売り物のはずが薄つくりは数枚・・・。
安い料金だからと諦めてはいましたが、これほどまでとは・・。
早々に食事を済ませ、売店で地酒を買い部屋でぶつぶつ言いながら飲んでいました。
つづく・・・。
目的地は津和野から山口県の萩、岩国、秋芳洞で1泊2日の予定です。
朝早い時間に集合し、山陽新幹線に乗り出発しました。
目指す駅は福山で、そこから地元観光会社のバスに乗り込み津和野を目指しました。
考えてみれば福山は広島県の東に位置している為、長時間バスに揺られなければなりませんでした。
高級バスというわけではありませんので、しばらくするとお尻が痛くなり外の景色を見る余裕もありませんでした。
何時間走ったでしょうか、津和野に着き小休止。しばらくすると直ぐに出発の号令が聞こえました。
その後萩に到着し、松陰神社などの名所を見て回りました。
今となっては話題の松下村塾などをじっくり見ておけばよかったなと後悔しています。
今夜の宿は某グランドホテルで、ツアーのパンフレットなどによく出てくるホテルです。
ツアーといっても個室に泊れる訳ですが、その部屋の給湯器が故障してるではありませんか。
そうそう添乗員が手土産を持って謝りにきたので、その場は穏便に済ませました。
大浴場で疲れを取り、いざ大広間での夕食に向かいました。おおよそ100畳はあろうかという大広間の片隅にお膳が用意されていましたが、空いている部分の方があるかに広い・・。
ふぐ料理が売り物のはずが薄つくりは数枚・・・。
安い料金だからと諦めてはいましたが、これほどまでとは・・。
早々に食事を済ませ、売店で地酒を買い部屋でぶつぶつ言いながら飲んでいました。
つづく・・・。